コントラバスの神様、ゲイリー・カーの来日コンサート2019に行ってきた

1ヵ月以内

ジャズ屋の私ですが、昔から名前だけは知っていたゲイリー・カー。
私にとってウッドベースの神様はポールチェンバースとクリスチャンマクブライドなのですが、こちらはコントラバスの神様。いっちょ隣の山の神様でも拝むかという事で行ってきました。

800席が完売する盛況ぶりに俺みたいなニワカが混ざっていいのか果たしてと罪悪感がありましたが、一応「Googleで”ウッドベース”検索したら1ページ目に入るくらいこの楽器を愛しているから大丈夫だろう」と自分を納得させて、いざ初めての紀尾井ホールへ。

ゲットした座席は2階席の後ろから2列か3列目。至近距離で神様を拝めないのは少し残念でしたが、せっかくの生音演奏だしコントラバスがホールに放つ空気そのものを感じとるのも良いかもな、と思うと悪い気はしませんでした。

コンサートは2部構成で、ピアノのハーモンルイスという方とのデュオが1部。2部はN響のメンバー20名ほどを交えての室内オーケストラ。
私は2部の方が楽しめました。音楽をアンサンブルを聴く趣味が最近勝っているからです。いやもちろんピアノとのデュオもアンサンブルなんですが、こちとらオーケストラ初心者なものですから、耳慣れないバイオリンやチェロやホルンという楽器がどんな役割を果たしているかを体感することに興味があります。今は。

いやしかし、1部も2部も共通していて俺が一番驚愕したのは、このような音楽空間は地球上で彼しかプロデュースできないだろうという気付きにありました。

もう人間である事を疑うレベルで指板を縦横無尽に駆け巡る左手のウルトラ超絶技巧に裏打ちされた、音を放つという行為に対する余裕、その余白をエンターテイメント(主に顔芸)に振り切るステージング。体全体を使うコントラバスという楽器とゲイリーカーのひょうきんおじさん的キャラクターの合わせ技で初めて成立する、唯一無二の時間を提供できる音楽家という事に強く衝撃を受けました。

あんまりこういう事言うべきじゃないかもしれませんが、本音では、この事は彼のスキル「だけ」を堪能するのであれば最初の3曲くらいで十分だったという事とも表裏一体ではあります。

これはもう、俺が曲を知らないからしょうがない世界だと思われます。時間をかけてボキャブラリーを増やして純粋に演奏を評価するくらいに自分の聴く耳を養わなければなりません。
ちなみに唯一知っていた曲がVocalise。単に先日自分が所属するオーケストラで演奏したから知っているのですが。やはり知っている曲だけは聴く耳が幾分かシャープになります。特にこの曲の最後、ちょっと弾くだけで切れてしまう糸のような小さな音で超高音をロングトーンで残響させた技術、あれが一番すごいと思いました。

気付きがもう一点。
コントラバスという楽器にはいろんな側面、というか役割があり(まぁどの楽器もそうだと思われますが)、様々な役割の中でもこと「低音域楽器における高音域旋律を奏でることの魅力」のベクトルを人類最大限に拡張しているのが彼の演奏の醍醐味だと感じます。それはもう2時間半のコンサートの中でこれでもかというほど堪能しました。
そう感じた際、コントラバスのまた別のいち側面、つまり他楽器のアンサンブルの隙間を底から埋めるようなボトムとしての役割、ここに自分はベースという楽器のエクスタシーを感じていることを強く意識しました。ゲイリーカーが余裕しゃくしゃくで超高速パッセージを弾きこなす裏で、N響のベース奏者が放ったピッチカートの音に耳が持っていかれた時、あ、俺はバッキングとしてのベースが好きなんだと気付いてしまいました。

この事は、俺がジャズベーシストをやりながらもベースソロを弾けないに興味が無い事の根源的な理由であるようにも思われます。そう言えば昔、俺が鼻歌でベースラインばかり歌っているのを「意味が分からない」と言われた事があります。

このコンサートは、それまでの自分に無かったコントラバスの価値観をガーンと提示された反応として、自分の価値観を相対的に捉える体験であった、と言えます。

素直に「ゲイリーカー凄かった!泣いた!」と言えばいいものを、さて感想を書いてみたらこうなってしまうのはどうも俺の性格が悪い…のではなく、色々あって、自分は音楽という存在に対してこじらせてしまっているからです。治療にはまだ時間がかかる模様。10年後にこの記事を読み直したら違っているかもしれない。

最後に、技術以外にゲイリーカーの凄さをもう一点述べると、そのサウンドにあると思いました。
途中で市川さんというゲイリーカーの弟子(というのを後で知った)とのコントラバスデュオをやりました。私から見たら市川さんもじゅうぶん神なのですが、2人の楽器が放つサウンドには決定的な差がありました。それはもう、残酷なくらい。
師匠の方が、音量が大きい、音抜けが良い…と言ってしまうのはとても陳腐ではありますが、それらの要素は「メロディの演奏に最適化された音として完成している」とでも言えるサウンドでした。何十年とソリストとしてステージに立ち続けた経験が、音を研ぎ澄ませて行ったという時間を感じさせるものでした。

まぁそれ以上に、2人の触れ合い方が印象的でした。やんちゃな師匠とタジタジの弟子、という図式を通して師匠が弟子を愛している様子がひしひしと伝わって来て、とてもチャーミングでした。音楽家の前に、人に愛を与える人は素敵だ。俺もああいうじじいになりたい。

オーケストラ流儀のコンサートに行くのは記録に依ると2015年のドラクエコンサート以来のようですが、やっぱり見てる側にも緊張感を強要するあの雰囲気は慣れない。
途中、ゲイリーカー・チェロ2人・もうひとりのコントラバスの4人がユニゾンをバッチリ成功した時はかなりゾクゾクしたのですが、ジャズだったらあそこで絶対に拍手起こるのに、起こらない。すごくもどかしい気持ちになりました。良くも悪くも、演者と聴衆のインタラクションを敢えて遮断しきってるのがこのスタイルなんですねぇ。演者を神格化するシステムなのかもなと感じます。

78歳とのことですが、5年後くらいにもまた来日できるんちゃうかというくらいかなり元気でした。

コンサートの後は、所属しているオケの団員と合流して終電まで感想戦。音楽の事を無限に喋れる仲間がいることは、自分にとってとてもラッキーな事です。

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