照井利幸×中村達也セッション”Confusion of the Temple”で感じた照ちゃんの境地

それを言ったのがベンジーだったか達也だったのか忘れたが、何かのインタビューで「照ちゃんは岩だ」と言っているのを見たことがある。まだブランキーが活動していた時期の話だ。とにかくプレイを崩さない、という文脈だった気がする。

アドリブ成分の多いブランキーのライブだが、実はベースラインに限って言えばほとんどアドリブがない。
それは照ちゃんがアドリブやフィルインではなく、グルーヴによってバンドアンサンブルを創り上げようとしたからだと俺は解釈している。「彼女は死んだ」など、ただ1種類のフレーズを延々とループする曲がその代表例だ。
本人がそう言ったわけではないが、全く同じフレーズでも演奏するたびにグルーヴが違う。その極上を求めるのがバンドのスリルだと考えていたに違いない。

そして大昔、極めつけの映像を見た。
1998年か99年のライジングサンのセッションで、照ちゃんはE弦の開放弦を「ボボボボボボボボ」とただひたすら、延々と弾いていた。ベーシストが100人いたら100人、何かしらのフィルインを入れたくなるはずだ。ドラマーの誘いに乗ってフレーズを遊んで見たくなるはずだ。照ちゃんはそれをしない。恐らく地球上で最も簡単、シンプルなベースラインを楽しそうに弾いていた。

ここまで音楽的な煩悩が無いミュージシャンがこの世にいるものなのかと強い衝撃を受けたことを今でも覚えている。

それから20年経ち、今日はまさかの照井利幸×中村達也のセッション、Confusion of the Temple@新宿ピットイン。タイトルの意味はよく分からない笑。

高知の片田舎で高校生をやっている間にブランキーが解散してしまってから今までの間、まさかこの2人を同時にこの目に収めることができようとは、全く想像してなかった。生きててよかった。

ファンならご存知の通り、この20年で照ちゃんの音楽モードは大きく変わった。そして一方の達也は相変わらずなところがある。
すっかり異なるベクトルに向かって進化した2人の音楽が交わるポイントが、本当に存在するのか?参加した人のほとんどはそこに興味があったに違いない。…というか、もしかしたら当の本人達もそう考えていたのかもしれない。

照ちゃんは、やはり岩であった。

1stセットの最初はお互い探っているように見えた。まぁ当たり前だわな。そこから達也がおいしいフレーズを仕掛けにかかる。ベーシストなら誰もが条件反射で反応してしまうだろみたいな局面でも照ちゃんは、

乗っかからないのである笑。

達也がモリモリ叩いている横で、ただ「ボーーーーーーーーーーーン」と白玉を弾いて、沈黙。

いや、乗っかからないという表現は適切ではない。照ちゃんは乗っかかってるのだと思われる。彼の今の音楽モードで。
ただ並のベーシストなら、フィルインを入れる、リズムのユニゾンしにかかる、ドラムのテンションに合わせて音数を増やす、などが音楽的会話の常套句であるはずが、照ちゃんの会話はその文法からあまりに逸脱している。

達也が4小節や8小節単位でフレーズを組み立てているように見えるところ、照ちゃんは100小節くらいのスケールで音楽を捉えている、そんな感覚に陥った。いや、もしかしたら小節という単位では無いかもしれない。

相手がパンクドラマーだろうが、ドラムレスだろうが、照ちゃんの宇宙的音楽モードは崩れることがない。それが岩なのである。しかし岩の形は変わっている。そして、ここ25年ほど照ちゃんのプレイを聴いていて驚くのは、これが彼が頑なに守っている音楽態度なのではなく、どうやらただ自然にやっていることであることのようだ。俺がここでアホみたいに言語化(理系の習性である)していることは、恐らく照ちゃん本人は全く意識していない。

これで何が起こったか。
冒頭で「2人の音楽がどう交わるか」と書いたが、いや、そもそも交わらないのである。照ちゃんの世界線と達也の世界線がそれぞれ独立して同時に鳴る、というのがこのセッションのサウンドなのだと解釈された。
セッション冒頭は「なんなのだこの音楽体験は」と理解が追いつかない時間帯があった。言語化をしているのは家に帰った今だが、うっすらとこのセッションの読み解き方が分かってから、素直にサウンドに聴き入ることができるようになった。

これがタイトルのConfusionの意味だったのかもしれない。ただ未だにTempleは何なのかよく分からない笑。

とにかく、2人の出すサウンドは唯一的であった。

しかし1stセットに比べて、2ndセットはお互いの世界が近づいたように感じられた。そらー2時間も音合わせてたら自然とそうなるわな。
ただこんなことを言うのは極めて野暮と承知するが、俺はこのセッションのキモを上述の通り「敢えて世界観を分離したサウンド」であると感じたので、2ndよりも1stの方が「とんでもないものを見た」という印象をもった。
しかしいずれにせよ、ブランキー時代の彼らの音楽を知っている者なら誰もが、今晩聴いた音楽がいかに変化を伴ったものかが分かるはずだ。そしてステージにいる2人の間で交わされる「これが今の俺にとっての音楽だ」「俺はこうだぜ」…それがこのセッションにおける対話だったはずだ。

そして、これが20年前、完全にモードを共有していた2人が出したサウンドだったからこそ、「歴史的な夜」だったのである。

セッション中はお互いの姿を見ることがほとんど、というかもしかしたら1度もなかった2人。それが1時間の1stセッションの最後、音が終わった瞬間に2人がふと笑顔でお互いを見合うのである。もう最高。


俺にとって「ジャズベース」と言えば問答無用でこの楽器。

このライブは本来、発売日当日にわざわざ現地でチケットを買った幼馴染でブランキー仲間のセンちゃんが行くはずだったものだ(俺は電話で撃沈した)。彼の都合により急遽俺が行くことになった。心から感謝。駄文だがセンちゃんに捧げる。いらんか?