ドラクエという皮を被った超野心作、映画”YOUR STORY”のネタバレ感想

いろんな意味で話題のドラクエ映画、ユア・ストーリーを初日に見てきました。

このサイトで何度も申し上げている通り、私はドラクエを世界一のエンターテイメント作品と信じるくらいにはドラクエ信者です。なもんで、「死ぬほど感動した」と書くつもりまんまんで映画館に参りました。つもりだったんですが、この映画、蓋を開けるとドラクエという皮を被った超問題作、よく言えば超野心作であり、素直に感動したと書けない苦悩をこの場で吐露します。

この映画は自分にとって何だったのか。ある意味見てよかった映画…ともちょっと違う。「見ざるを得なかった」映画、といったところでしょうか。うーん、結論のキレが悪いところも、この映画の問題の一端を示しているように思われます。

苦悩はあるのですが、最初に自分の立場を言っておくと、これはこれでドラクエ表現の一つとして「作品が世に出たこと自体」を支持しています。
一方で、作品自体にとんでもないツッコミポイントが散りばめられているのは事実なので、以下はそこに焦点を当てて自分の意見を述べます。

以下はネタバレありです。
この映画を見る予定のある方は、事前予習ナシを絶対的におすすめします。

問題のラストシーン

映画館を出てから、Twitterで吹き荒れる感想を数百投稿は見ました。「最高」と「最低」という評価にパカーンと真っ二つに分かれており、これは賛否両論あると言われる映画にしても「さすがに両論すぎるだろ」という感があります。

それだけの問題作となってしまった理由は、もちろん最後のメタオチにあるのは言うまでもありません。

見る予定が無い人のために言っておくと、劇中のドラクエ世界が実は現代のサラリーマンがプレイしているVRゲーム体験内の出来事だった、というものです。

いや正直、メタオチ自体はアリだと思っていました。
理由は、それまでの本編がかなり煮え切らない出来だったからです。

なかなか映画が中途半端な出来栄えだったので「最後にひとヒネリ無いと映画としてマジで厳しい」と思いながら見ていました。メタオチはむしろ否定派ですが、もうそれくらいやってくれないとどう落とし前つけるんだこれ、というモードだったのです。

なもんで、ゲマを倒した直後、明らかに物語のクライマックスに差し掛かっている事がどの観客にも分かるようなタイミングで時間がピキーンと止まる演出。あの瞬間だけはゾクッとしました。今までの鬱憤を晴らす何かがこの先にあるのかもしれない、そういう期待値が一瞬で頭を駆け巡りました。

30秒後に「あ、やっぱダメかも」となるわけですが…。

メタオチはまだいいんですが、とったギミックが良くなかった。
「ゲームなんて子どものやることだ」というメタメッセージに対するカウンターをとることでこの映画の結論が示されるところまでは、まぁ想像の範囲です。予想外だったのは、メッセージ発信の主語がVR開発者が仕込んだウイルスだったというところです。
この映画のターゲットがSFCドラクエ5世代(多分30代以上)とした場合*、ゲームを否定してきた主語はおそらく大体の場合おかんであるはずで(異論は認める)、ウイルスではないのです。感情移入しろと言われてもできない。

*映画中に、主人公のサラリーマンが幼少期に誕生日プレゼントでドラクエ5を買ってもらうシーンがあるので、製作側が意図しているのは間違いないと思われる。

百万歩譲ってその主語のメタファーが「社会」や「学校」(当時はゲームに対する風当たりが強かった)だったら映画としての体がまだかろうじて保たれてたかもしれないが、ウイルスはさすがについていけない。

最後のシーンでワケのわからないデザインをされた物体が「私はウイルスだ」と言った瞬間に、これはもう感情移入するのは不可能だと一瞬で悟ったと同時に、映画館の温度がサーッと下がっていくのがすごくリアルに体感できました。映画館でこういう経験ができたのは人生初でした。これくらいしか好意的な感想を述べることができない。

何でこうしちゃったかなぁ、と考えてしまいます。
インタビューによるとどうやら監督自身がドラクエ5未プレイだったとのことで、どうしてもそこに理由があるやろと思わざるを得ません。そう思わない方が不自然。
RPGの映画化という落とし前をつけるために(恐らく苦し紛れに)メタオチにしてしまったが故に、リアルタイムプレイヤーで無かったことの「実体験としての浅さ」が、メタメッセージの語り部にウイルスという謎選択をさせてしまった遠因であるように思えてなりません。これは原作へのリスペクトとか言う以前の問題だなぁと思わされます。
ギターを全く弾いた事が無い人がジャカジャカと適当に弾いて「フリージャズへのリスペクトです」と言うのと同じです。例の方がかえって分かりづらいか?

そして最後。冒頭からパーティに参加していたスライムがいきなり「実は私、アンチウイルスプログラムでした」とカミングアウトして体を張ってウイルスを撃退、主人公サラリーマンが「ドラクエは僕にとっての世界なんだ」とメタ視点で全肯定して終幕。

いや分かるよ。その気持ちは分かる。分かるんだけど、追いつけない。

本当なら、冒頭から登場しているサブキャラが最後にいい仕事するってファンタジー映画なら垂涎モノの演出なのに、それすらが霞んでしまうくらいに「え?なんで?ウイルス?どゆこと?」と頭の整理を阻害され続けたまま、スタッフロールに直行します。

会場の灯りがついた時、私は恐らく今年で一番真顔だったはずです。

帰っていくお客さんの中にはちらほらと「おもしろかったー」と言っている声も聞かれ、それが私にとって唯一の救いでした。私が心から愛しているドラクエの罵詈雑言はできるだけ聞きたくない。

とまぁこき下ろしてしまいましたが、私のドラクエ愛に影響はありません。
冒頭で述べたようドラクエは私にとっての最高のエンタメ作品である一方で、作品を作り込む堀井雄二氏を代表とするクリエイターの叡智に感動している、という側面も大きいからです。

そういう意味では、「新しいドラクエの作品性を垣間見たい」という一歩引いた見方でこの映画に触れられたのは幸運かもしれません。逆に、ドラクエ5の世界を追体験してゴリゴリ感情移入する気マンマンで映画館に行った人には相当ショックだったと思われます。
RPGを別のフォーマットで表現することは難しいとは想像しますが、2016年のライブスペクタクルツアーで最高に感動したという経験を持ってしまっているので、映画表現でもあれくらいのクオリティを期待したかったなぁ、と言うのが本音でした。

この映画を象徴するメタオチに関しては以上ですが、ただこの映画、もうちょっと述べることがあります。

突き抜けられなかった本編

さてちょっと上で、本編自体もかなり煮え切らなかったと書きました。ここからはそのコーナーです。

人に依るとは思いますが、エンターテイメント作品というものは、総合的な作りに難があっても「ここだけは抜群に気に入った!」というポイントが1つでもあれば思い出深いものになると思っています。

残念ながらこのドラクエ映画では、それがありませんでした。
音楽、ストーリー、演出、声、設定、再現度、どの側面で切り取っても、突き抜けた箇所が無い。これの原因も、監督が原作未プレイである事に起因している気がします。とにかく、ラブが少ない。

そんな中で強いて挙げれば私が一番グッと来たのはビアンカでした。とにかくかわいい。


鳥山明のデザインを大きく踏襲しつつ、映画用に施したアレンジはどれも高クオリティだと思います。この映画は(いちおう)ナンバリングシリーズではないので、これは別の世界観であると受け入れやすいものでした。


そして原作と異なり映画版ビアンカの最大の特徴といえば、歳とったのに抜けてないツンデレ感ではないでしょうか。

原作の青年期で再会したビアンカはしおらしい女性になっておりそれがまた経過した年月を感じさせる好演出だったりするわけですが、今回はそれと違い少女期のアネゴキャラを維持したまま登場します。グイグイ主人公をリードする強気の女性というキャラ像はいろんな作品で使い古された形式とは言え、これをあのビアンカがやることは、古参ファンにとっては新鮮で大胆なアレンジという意味で意義が大きいと思います。俺は結構好きでした。フローラとのキャラ分離がハッキリするという映画上のメリットもあったと思います。

…なんですが、そのキャラを活かしきれてないのがどーにももったいない。
これ、ドラクエを映画化するにあたってどうしても避けられない問題なのですが、主人公がどうしてもニュートラルなキャラ設定にならざるを得ないので、ビアンカのツッコミポジションを発揮するシーンがそんなに無い。あったとしても切れ味が悪い。
どうせメタオチにしちゃったのだからもっと主人公のボケ要素を立たせたらまた違うメリハリが効いたはずなのに、それが見れなくて悔しさすら感じてしまう中途半端加減でした。残念。

というかこの映画、全体的にどのキャラも薄くて(ゲマを除く)、泣きも笑いもあんまり印象に残りませんでした。直前にトイストーリーを見てしまったのもあって、余計にこの手の映画はアメリカのクオリティの高さを感ぜざるを得ませんでしたねぇ。

次に音楽。
オーケストラ録音を爆音で聴けた功績はかなり大きいと感じます。冒頭はかなり感動しました。

…なんですが、序曲が何度も使われるのと(これはTwitterでも指摘する人多し)、あと個人的には他ナンバリングの曲は出して欲しくなかったなぁと思わざるを得ません。
いくら「これはドラクエ5の映画化ではない」と説明されようが、画面上に5主人公、パパス、ビアンカ、フローラが出てくるのを見てドラクエ5だと思わない方が不可能なわけで、これに別ナンバリングの楽曲が使われることで世界観のネジれを感じてしまうのは無理が無いように思います。

一方で、他ナンバリングの楽曲も聴けて嬉しい!という声も分からんでもない。複雑…。

ストーリーはどうでしょうか。
端折りまくる展開、これはプレイしたら数十時間かかるドラクエを2時間弱で再現するという時点で覚悟はしていました。まぁしょうがないよね、と思います。
ただ…メタオチにしてしまったが故に映画内で予防線を張れてしまったこと(「ゲームだから」という説明ができてしまう)自体はかなりあざといなと思わざるを得ません。製作陣には、端折ったけどしかたないでしょ、それ以外のところで魅せるから、くらい割り切ってもらった方がよっぽど映画として気持ちのいいものなったはずなのになぁ。

設定と再現度は、もうボロボロの領域と言わざるを得ません。
サンチョが誰なのか不明、1軒の家しかないサンタクローズ村、ぬるっとしたパパス死亡シーン…、上げれば枚挙に暇がないので、この方のレビューをご覧ください。

【ドラクエ映画】ドラゴンクエスト ユア・ストーリー感想【ネタバレ】 – 博愛置場

こういうところはまさに監督の原作リスペクトに依存するところではないでしょうか。製作リソースの割き方を間違えようが「ファンはここにニヤリとする」ポイントを抑える、みたいな気迫は全くと言ってほどありませんでした。ラブが足りない。

説明が全くと言ってほど無いので、ドラクエはおろかゲーム自体を全くやったことがない妻は「最初から最後まで全くワケが分からなかった」らしいです。悪いことをした…。

唯一難点無しで評価できるのはグラフィックかと。これは最高に近いと思いました。
ナンバリングドラクエとは違うアートディレクションを確立した(ある意味、鳥山明世界からの半分脱却)ことは素直にすごいと思いました。むしろこの路線でゲーム1本開発してもらいたいと思うほどです。
まぁでも、グラフィックだけ切り取ってこの映画好き、とは言えないのでね…。

ということで、やっぱり整理しても、個人的には「ビアンカがかわいい」くらいが評価ポイント、かな…この映画。
もっとビアンカの見せ場がみたい、じゃないとこれ厳しいよ!とやきもきしながら見続けて、最後のメタオチで真顔にさせられる、これが私のドラクエ映画体験だった。1文でこの映画を評するとこうなります。

ただ何度も強調しますが、この映画を見ても私のドラクエ愛に影響はありません。

次のドラクエ映画はあるのか

正直、今回の映画は商業的には成功しないと思ってしまっていますが、私は生涯ドラクエ作品を追いかけるつもりですので、次のドラクエ映画が出たら絶対見に行きます。

それがもし今回のように問題作だったとしても、ある意味ドラクエのコンセプトである「冒険」を体験することに他ならないのかもしれません。グラフィックはかなりイケてたので、この路線で次も作ってほしいなぁ。