冷たい熱帯魚を見た

自分には映画を見るという習慣がほとんどないもので、年に3本とか。
なので、特定の監督の映画を何個も見る、ということがほとんど無いわけなんですが、何の巡り会わせか園子温という人の映画は「自殺サークル」「愛のむきだし」、そして「冷たい熱帯魚」と3本も見てしまいました。
なぜか俺のまわりには、この監督を絶賛する人が多いです。

主人公が置かれる環境を徹底的に異常性に追い込んで、最後に残る「個対個の愛情」だけがぽっかりと描かれる、そんな描写が共通しているように思います。カルト的な文脈を用いるところも共通してる。
3本しか見てないにこの監督について語るのもナンですが。

で、この映画に関して言うと、やっぱり「むきだし」と同じで、肝心の「異常性」の描写についていけないな…と。
別にグロ表現が嫌いなわけじゃないです。
それよりも脈絡が無い、意味がない、というシーンの連続に、自分としては入り込んでいけない。「どゆこと?」という思考が先に立ってしまうので、どうしても目の前で展開される絵と頭にタイムラグができる。
なんというか、この監督が出したい世界観と自分のセンスの相性が悪い、としか言いようがない感じです。

とはいえ、後半30分くらいの展開はすべて予想できてしまいました。「むきだし」を見ていたからなんとなく文脈が分かっていたからかな。それとも「こう終わらせへんと映画として帰結せえへんやろ」という見方を無意識でしてしまったのかもしれません。

見終わってから改めて、「この人の作品はもう二度と見ない」と決心を固めましたw

ところが、同居人と一緒に見たわけなんですが、彼は大興奮しながら「めちゃめちゃおもろかった」と言うわけです。
その理由を問うと「純粋なエンターテイメントとしてクオリティがめちゃ高い」と。

ははぁ、なるほど。

この一線を越えるとただの猟奇殺人映画になってしまう、というラインをキワキワで抑えてたり、異常性の中にも笑える描写が差し込まれていたり、実話にフィクション性を加えて映画化したとか、そういう危ういバランスを映像表現に封じ込めているところがすごいんだと。

映画や小説や漫画やゲームなど、ストーリーとして語られるものに対峙したとき、自分はどうしてもメッセージとか意味を求めてしまいます。
そういう「頭で理解すべき部分」をぶっ飛ばして迫ってくるリアリティを、彼は評価しているんだと思います。

で、この作品にいちいち「意味」を求めても議論にならないということなのですが、だからこそ自分はこの作品を評価できないという事実が生まれます。

その人の映画の見方次第で、こうも評価が分かれるものかと、改めて気付かされました。
残念ながら自分はそういう風にこの作品を捉えることができませんが、だいたい世の傑作と呼ばれる作品は、そういった「人を選ぶ」もののような気がします。

まぁそういうことに気付けたという意味で、見てよかったかも、と思う映画でした。