限定性を捨てたGunosyの未来が気になる

年始のWIADで開発者の講演を聞いたということもあってわりと思い入れがあったGunosyですが、自分は、夕刊システムが実装されたあたりからあんまり使わんくなりました。情報量が多くなって、単純にしんどくなった。

で、久しぶりにアプリ開いてみたらユーザーフォロー機能がついてたり、話題の記事とかいうコーナーができてたりと、機能拡大と共にどんどん情報量が増えている模様。

「あ、もう使わんかも」と思ってしまいました。
たまにはあるかもしれんけど。

Gunosyの何が良かったかって、記事の取捨選択の「思い切りの良さ」だったんじゃないかと。自分にとっては、ですけど。
使いやすいとか便利とかとかじゃなくて、コンテンツそのもの。

星の数あるニュースメディアがアホほど記事を出しまくってる中にあって「1日10記事しか配信しない」というスタンスは、自分には画期的に見えたし、(これは使ってみて分かったんですが)あれだけ数を限定してると「昨日のニュースも読んでみる」という、今までのニュースメデイアでは考えられなかった体験に驚いたもんです。
そのときは「カテゴリーが限定された情報空間の中では、情報探索の導線は時間軸に沿うのでは」なーんてことに気付いて感動したりしました。

記事数が少ないというデメリットを、記事レコメンドの精度ですり替えるという発想はサービスとして、とても美しいです。
まあ、肝心のアルゴリズムはまだまだ発展途上という感じでしたが…

まぁ俺が一人で勝手にGunosy像を語っても全く意味がないので、開発者さんが考える未来を突き進んで頂ければと思いますが。
ただ、「極めてパーソナルな情報空間」という、ウェブの一つの未来を担う先端事例として期待してたのに、どうもそういう方向性には進化しなそうだというところが残念ではある。

1年後くらいに、またどうなってるのか振り返ってみたいと思います。