女神異聞録ペルソナ(初代)の、RPG表現としてのクオリティの高さ

うろ覚えのゲームをうんうん思い出しながら感想を書くシリーズ。
1996年のゲームです。当時中学生。

去年やったペルソナ4も相当おもろかったけど、シリーズでは初代が一番好き。まぁペルソナは3以降が全く別のゲームになってるんでシリーズとして語るのもアレかもだけども。
ドラクエ、FFと並んでファミコンRPGを牽引した女神転生シリーズの派生作品ということで、全シリーズをリアルタイムにプレイしまくっていた我が家(親父含む)は当然のように飛び付いた。

本作、岡田耕始、金子一馬という看板クリエイターが築いてきた土壌を、当時新人(すげぇ)の里見直氏の世界観がビシバシ塗り替えて新しい作品にした、という感じ。ファミ通から出てる攻略本のインタビューを読めば、ベルソナの世界観はイコール里見さんの哲学なんだなあと思う。

当時のアトラスRPGの醍醐味は、プレイしながら「何かを問われている気がする」メッセージ性にあるかと思うけど、その中でもこの作品がズバ抜けているところは「作品テーマを、RPGというフォーマットの中で昇華し切った」ところにあるかと思ってる。

“自分との対話”というテーマ設定と、その表現方法

俺の勝手な解釈だけども、女神転生シリーズのテーマが「自分と神との対話」だったのに対し、ペルソナシリーズで表現したかった新しいテーマは「自分自身との対話」なんだろうと。
ここでいう自分自身との対話というのは、恐らく誰もが一度は抱いたことのある「自分って何だ?」という問いから生まれる葛藤と、それに答えを見つけるまでの過程のことを指す。

なので、キャラクターに寄った演出が強調されてる。それまでの女神転生では対峙するキャラクターが一方的に喋りかけてくる構図をとっていたのに対し、本作では敵味方含めてキャラクター間の会話がイベント進行の軸になっている。人との触れ合いを通じて自分を発見していく過程を表現するために、ヒューマンドラマとして物語を構築することが必要な手法だったのではと想像に難くない。クオータービューの導入はそれを俯瞰で見せるための処理。

自分探しというテーマに悩む役割を、青春まっただ中の「高校生」に担わせたのも筋が通る。各キャラクターにコンプレックスが設定されているのも、作品テーマにリアリティを持たせる。マークは親離れできない、麻希は病弱体質、ブラウンは黒歴史、レイジは神取との確執…という風に、各キャラクターに克服されるべき悩みが分かりやすく設定されてる。

そして「自分ってなんだ?」というテーマ=「自分に内在する、多数の側面との葛藤」の具現化としてのペルソナ。これが戦闘システムに活用されている。システム的には女神転生の仲魔とほぼ同じものだけど、ペルソナを新しく入手したり合体を繰り返して成長していくというモチーフは、ストーリーの進行=自分自身の成長=ペルソナの成長と置き換えると、ストーリーに非常に寄り添ったシステムだなと感心する。

エンディングは後述するけど、それぞれの登場人物がコンプレックスに対しての答えを見つけ、自分自身の道を歩んでいくことが示される。

全部つながってる

作品テーマに従って、語られるストーリー、そのための演出方法、演者としてのキャラクター、ペルソナというシステム、戦闘方法、結論としてのエンディング…と、芋づる式に必然的な一本の線で繋がってる。ほんとびっくりする。
今どき「映画でやれば良かったんちゃう」と思うようなRPGは多いし、そうでなくてもシステム面で懲りすぎたり、あるいはムービーなどの表現面に偏重したり…という作品が多くある中、「RPGでしか成立しない表現」でここまで筋を通したゲームは本作がズバ抜けていると思う。製作者のセンスと根気と魂の賜物かと。

「これしかない」エンディング表現

今どきの豪勢なムービーもないし、大した演出も無いけど、それでもRPG史上ベスト5に入るエンディングだと思う。今みても鳥肌がやばい。それは、ここまで筋を通した作品テーマに結論をつけることに成功しているからだけじゃなくて、表現が冗長さも不足もない、ちょうどの形になってるからだと思ってる。

ペルソナという物語が「自分って何だ?を探す過程」だったは散々上で言った通りで、じゃあエンディングとして何を表現するかというと、コンプレックスを克服した後のキャラクターを描くしかない。ここまでは分かる。このエンディングが本当にすごいのは、各キャラクターの「その後」が、ただの数十文字のテキストだけで描かれているところ。これだけの表現なのに、完璧にその様子が想像できる。ライティングが粋。豪華なムービーなんて必要ないのよ。

ネタバレ注意ですが、動画貼っときます。

主人公のこのメッセージがやばい。

彼がどうなったか…
それはあなたが決めること。

散々「自分を発見する過程」を登場人物に演じさせておいて、最後の最後でテーマをプレイヤー自身に突き返すという構図。鳥肌がたつ。

このメッセージをプレイヤーが真摯に受け止めるか、あくまでフィクションだから…と捉えるかはどうでもよくて、一つのRPG作品がラストに残すメッセージとして、これ以上のものを見たことがない。綺麗すぎ。必然すぎてこれ以外の表現が本当に思い浮かばない。

ということで、バトルが爽快とかシステムがおもしろいとか、ユーザビリティ的なところは完全に無視して、制作者が伝えたいことが昇華されてるという点においてこれ以上のRPGは見たことが無く、そこがこの作品のすごいところかな、という感想でした。
今どきのRPGプレイヤーがそんなものをゲームに求めるとは思えんけど、やっぱり自分としては金字塔です。

その他こまごまと、ゲームとして

音楽いいです

シリーズ一貫して採用されているテーマ曲「全ての人の魂の詩」とか、「雪の女王」「神話覚醒」あたり大好き。

卓越したキャラクターデザイン

キャラクター寄りの演出になったとは言っても、あくまでそれまでの女神転生に比べての話であって、FFとかテイルズとか最近のペルソナほどキャラゲーではない。ペルソナ3とか4みたいにフルボイスでもないし、キャライベント自体がそんなに多くないので(あるのは序盤くらい)、それぞれの人間性がビシバシプッシュされるような見え方になってない。

それでも、めっちゃ好きなキャラクターができるのよねぇ。不思議なことに。
金子一馬氏によるキャラクターデザインが、やっぱすげぇんだと思う。
これはドラクエ4にも通じる魔力です。
自分はマークとなんじょうくんが特に好きだった。

あと最近のRPGはイベントのフルボイスが当たり前、と俺には意味分からん時代ですが、本作でのボイスは戦闘中アクションの掛け声くらい。これがペルソナ3とか4みたいに冗長でなくて、ただの掛け声。これくらいがちょうどいい。キャラへの思い入れに自由度がある。

ゲームとしてのハードルは相変わらず高い

女神転生での未獲得ターゲット層に訴求したいということで、先述の路線変更は一見成功してるかと思われますが、肝心のゲーム難度は相当高め笑。

  • ペルソナごとの強弱の差がありすぎる=選択を誤ると敵がやたら強い
  • 戦闘がやたら長い
  • ダンジョンがやたら長い
  • セーブポイントがやたら少ない
  • ローディング中にやたらフリーズする

おおむねこんな理由で、当時中学生の俺からしたら相当ハードル高かった。泣きながらリセットする日が続いた。

果てしないボリューム感

今みたいにネットで攻略情報がウハウハ!な状況でもなかったので、攻略は書籍頼み。で、ファミ通の攻略本を買って、レイジや雪の女王編の存在を知った時になんと驚愕したことか…。

しかも全く別スタイルのアナザーストーリーで「雪の女王編」が用意されてると。制作者魂がすごいです。
ゆきのさんなんてあんなに序盤露出するのに、結局こっちでしか仲間にならんとか、すごい贅沢な使い方(その代わりなのかもしれないが、ペルソナ2でちゃんと出演する)。
雪の女王篇は多分ソフト買った人の10分の1もプレイしてないと思いますが、それ専用にテーマ曲を設けてる気合いの入りようです。またこれが超いい曲。

社会人となった今では周回プレイはきついですが、暇な中学生だったので、クリア後すぐレイジを仲間にするために2週目をはじめた記憶がある。
雪の女王編は中学生の自分にはハードルが高すぎて挫折したけど、うちの親父はガリガリやっていた。

PSP版は名曲「神話覚醒」がカットされていたりと、散々な言われよう。自分はプレイしてません。ゲームバランスは向上しているみたいなので、初めてやる人にはいいんではないかと。

記事紹介してもらいました

2018年2月21日、5年前のこの記事を紹介くださりました。Twitterの通知が鳴り続ける経験はほんと数年ぶりなので嬉しかったです。ありがとうございました。

コメント

コメントをどうぞ(承認後に反映されます)




コメント